しばらく更新できずにいましたが、いたばし災害支援ネットワーク(ISSN)の支援活動は途切れることなく継続されています。
活動内容は、被災地・陸前高田市への支援と、板橋区内に避難されてきている被災者への支援の2本柱です。
現在、被災地支援は、仮設住宅でのサロン活動(健康増進のための活動や手作りの会の活動)や、仮設住宅内の棚作り活動をしています。
区内での活動は、被災者同士の交流の場として、定期的に茶話会と食事会を開催しています。
昨日はISSNの報告会、今日は区内に避難されてきている被災者の方々との食事会でした。
報告会でも食事会でも、被災された方々の生のお話を聞きました。
陸前高田市の仮設住宅で暮らしつつ、ISSNのスタッフとして、仮設住宅での支援活動コーディネーターとして活動してくれている方や、福島原発の避難区域から板橋区内に避難されてきている方からの話しです。
本当にその大変さははかり知れないものがあります。
涙ながらに話してくださいました。
被災していない者にとってはあれからもう一年が経とうとし、徐々に“過去のこと”になりつつある中、被災された人々にとっては、“あの日”から全てが変わってしまい、今も尚苦悩の日々は続いているのです。
もちろん、暗いだけの日々ではなく、笑顔も見られます。
前向きに頑張っていこうという気持ちと、人々の優しさに感謝する日々だそうです。
それでも、この先のことを考えたり、“あの日・3月11日”が近づいてきた今、また当時のことが蘇り、気持ちがあの時に戻ってきている面もあるそうです。
夢中に避難していた時よりも、今のほうが精神的な悩みが多くなってきたとおっしゃっていました。
津波で家を失った方の「周りに人はいて会話もしているのだけれど、まるで時間が止まったような、何もなくなった状態に私たちは今おかれている、という感じだった。」という話がとてもリアルで、その虚無感というか、何とも表現できないような気持ちが、同じ部屋の空気から感覚的に伝わってき、もちろん私は想像することしかできませんが、そんな経験をした人々が同じ日本に大勢いるのだと思うと、できる限り目をそらさずに想像し続け、少しでもそういった方々の気持ちに寄り添い、自分にできることを継続していこう、それしかできないのだから、せめてそれをしていこう、と思いました。
一方、原発で避難を余儀なくされた方の「津波だけのところはまだ復興が見えるけれど、原発のところは復興が見えないんです。」という言葉も深く胸に残りました。
それが、自然災害で失うものと、人間が作ったものにより奪われたものの違いなのかもしれない、と思いました。
ある日突然、何も詳しいことを聞かされないまま、防護服を着た人たちに「今すぐ避難してください。」と言われ、着の身着のままの格好の自分に、がっちりと防護服を来た人が機械をあてて検査、本当に何事かと思ったそうです。
その日から避難避難の生活で、今は知らない人ばかりの土地での借り暮らしを強いられている現実。
今はそれぞればらばらの場所に住んでいる元ご近所の人たちと「○○ちゃん家で皆でお茶を飲んでた頃が一番の極楽だったねぇ。」と話したそうです。
このような日々を送っている方々のためにほんの少しでもお役に立てたと感じられた時、“あぁ、活動してきてよかったな”と心から思います。
こういった活動は、山あり、谷あり…時には意見がぶつかることもあります。
災害当初は盛り上がっていた雰囲気が、徐々に一人減り、二人減り…そんな中残った者たちは、目的が同じという部分でつながっていたのでしょう。そして、苦しみを共にした者たちは仲間となり、絆も深まっていきます。
この一年で、一時的な熱い思いで派手なことをバーン!とやるような活動のほうが実は簡単で、ちろちろフツフツとした思いを絶やさずに持ち続け、地道な活動を継続していくことの大変さと大切さを学びました。
ISSNはこれからも被災者に寄り添った形で支援を続けていきます。
私も自分にできることをできる限り、続けていきたいと思います
雑貨セレクトショップ mederu オーナーより
活動内容は、被災地・陸前高田市への支援と、板橋区内に避難されてきている被災者への支援の2本柱です。
現在、被災地支援は、仮設住宅でのサロン活動(健康増進のための活動や手作りの会の活動)や、仮設住宅内の棚作り活動をしています。
区内での活動は、被災者同士の交流の場として、定期的に茶話会と食事会を開催しています。
昨日はISSNの報告会、今日は区内に避難されてきている被災者の方々との食事会でした。
報告会でも食事会でも、被災された方々の生のお話を聞きました。
陸前高田市の仮設住宅で暮らしつつ、ISSNのスタッフとして、仮設住宅での支援活動コーディネーターとして活動してくれている方や、福島原発の避難区域から板橋区内に避難されてきている方からの話しです。
本当にその大変さははかり知れないものがあります。
涙ながらに話してくださいました。
被災していない者にとってはあれからもう一年が経とうとし、徐々に“過去のこと”になりつつある中、被災された人々にとっては、“あの日”から全てが変わってしまい、今も尚苦悩の日々は続いているのです。
もちろん、暗いだけの日々ではなく、笑顔も見られます。
前向きに頑張っていこうという気持ちと、人々の優しさに感謝する日々だそうです。
それでも、この先のことを考えたり、“あの日・3月11日”が近づいてきた今、また当時のことが蘇り、気持ちがあの時に戻ってきている面もあるそうです。
夢中に避難していた時よりも、今のほうが精神的な悩みが多くなってきたとおっしゃっていました。
津波で家を失った方の「周りに人はいて会話もしているのだけれど、まるで時間が止まったような、何もなくなった状態に私たちは今おかれている、という感じだった。」という話がとてもリアルで、その虚無感というか、何とも表現できないような気持ちが、同じ部屋の空気から感覚的に伝わってき、もちろん私は想像することしかできませんが、そんな経験をした人々が同じ日本に大勢いるのだと思うと、できる限り目をそらさずに想像し続け、少しでもそういった方々の気持ちに寄り添い、自分にできることを継続していこう、それしかできないのだから、せめてそれをしていこう、と思いました。
一方、原発で避難を余儀なくされた方の「津波だけのところはまだ復興が見えるけれど、原発のところは復興が見えないんです。」という言葉も深く胸に残りました。
それが、自然災害で失うものと、人間が作ったものにより奪われたものの違いなのかもしれない、と思いました。
ある日突然、何も詳しいことを聞かされないまま、防護服を着た人たちに「今すぐ避難してください。」と言われ、着の身着のままの格好の自分に、がっちりと防護服を来た人が機械をあてて検査、本当に何事かと思ったそうです。
その日から避難避難の生活で、今は知らない人ばかりの土地での借り暮らしを強いられている現実。
今はそれぞればらばらの場所に住んでいる元ご近所の人たちと「○○ちゃん家で皆でお茶を飲んでた頃が一番の極楽だったねぇ。」と話したそうです。
このような日々を送っている方々のためにほんの少しでもお役に立てたと感じられた時、“あぁ、活動してきてよかったな”と心から思います。
こういった活動は、山あり、谷あり…時には意見がぶつかることもあります。
災害当初は盛り上がっていた雰囲気が、徐々に一人減り、二人減り…そんな中残った者たちは、目的が同じという部分でつながっていたのでしょう。そして、苦しみを共にした者たちは仲間となり、絆も深まっていきます。
この一年で、一時的な熱い思いで派手なことをバーン!とやるような活動のほうが実は簡単で、ちろちろフツフツとした思いを絶やさずに持ち続け、地道な活動を継続していくことの大変さと大切さを学びました。
ISSNはこれからも被災者に寄り添った形で支援を続けていきます。
私も自分にできることをできる限り、続けていきたいと思います
雑貨セレクトショップ mederu オーナーより
# by mederu888 | 2012-02-26 23:52